ねえ、

日記

何かを頑張ろうとしたときに張りつく不安について

 もう色々と無理じゃない?と、漠然と思った。
同じ空間を、ずっとぐるぐる回っている気がする。前に進んでいる感じがしない。気がつくと「こんなことしてる場合じゃないどうしようどうしようこんなことしてる場合じゃなくてもっとできてなくちゃいけないのにどうしようどうしよううわあああああああもう無理寝よう」というのを繰り返している。
もう何も考えたく無さすぎて、人生で始めて丸一日寝てしまった。寝ている間は何も考えなくていいからとても楽だ。何も解決しないのだけれど。
一度味を占めてしまったから、常にとても眠い。寝たさがすごい。

一足飛びで何かができるようになることなんて多分なくて、小さな積み重ねを繰り返していくしかないことは分かっているつもりなのだけれど、「こんなことしてる場合じゃない」という考えは強固だ。
「こんなこと」を積み重ねていかないと、「もっとできるように」はならない。年をとれば、それだけ積み重ねてきたものと見なされる。私はそこに至っていない。
だから、私ははやく「もっとできるように」ならなくてはいけない。
なのに、「こんなこと」の方向性があっているかどうかは、積み重ねてみないと分からない。正解が分からなくて、不安で何も手に付かなくなってしまう。

こういう話をすると、「努力が足りない」とか「あの人はもっとやっている」とか「そもそも本当にやりたいことなら楽しんでできるようになるはず」とかそういう反応が返ってくる。

努力が足りないのも、もっとやっている人がいるのも、分かっている。けれど、そういう言葉でできるようになるか?というと、やっぱり不安と劣等感が張りつくだけだ。本当にやりたいことならちゃんとできるはず、と言われてしまったら、もう何も言えない。やりたいことかなんて分からない。理想だけはある。

できる人や成功した人と比較されたり、「年相応」という基準を定められてしまうと苦しくなる。この辺がもう色々と無理だ。外の世界とはやっていけない。
比較されると(というか自分で比較しにいってる気がしてきた)こんなことしてる場合じゃないとなってしまうから、完全に引きこもっていくしかない。なにせ健康体なので、事件や事故に巻き込まれなければ、まだ寿命は遠い。何かをするにはもう手遅れなのに、諦めて過ごすには長過ぎる。
世の「できる人」にも、「年相応」にも到底敵わないから、そこは見ないようにして、自分の中でだけ比較していくしかない。井の中の蛙と馬鹿にされるとしても、そうしないととてもじゃないけど生きていけない。
そもそも、何かをできるようになるために、楽しさを感じなければいけないという決まりはあるのだろうか。ただただトライ&エラーを繰り返しさえすればいいんじゃないの。

……と、散々色々文句を言ったけれど、「努力が足りない」も「あの人はもっとやっている」も「年相応」も「本当にやりたいことなら楽しんでできるようになるはず」も「井の中の蛙と馬鹿にされる」も、全部私が自分で思っていること。滑稽極まりない。
私が無能であること、愚図であることを証明する出来事だけがたくさんある。できたことがないから、できるとはとてもじゃないけど思えない。できると思うためには、できたことがなくてはいけないのに。……卵が先か鶏が先かみたいな話になってきた。

私に対する思考が邪魔だ。答えは分かっているのだ。やったことに対する結果だけみて、改善点を探し、改善策を立てて、もう一回やってみる。それを繰り返すだけでいい。事象だけをみればよくて、私のことを考える必要はない。比較するのは過去の事象とだけで、他人も年相応も必要ない。なんかすごい捻くれた思考のように思えるのだけれど、また「その根性が気に食わない」的な話を始めて突き詰めると「楽しさを感じながら他人よりも努力をし年相応の能力を身につけなければならない」に戻ってきてしまうのでキリがない。

やってみたら→こうなった→予想との差異確認→どうすれば近づくだろうか→こうかも→やってみる(繰り返し)
よし。一旦これで行ってみよう。ここに「なんで差異があるの!!!!!」という気持ちが入ってくると元の木阿弥なので、そこの感情は意識して殺していこう。