ねえ、

日記

メリットを述べよ

私の好きな作品がテレビドラマ化する企画が立ち上がっているそうだ。
まだ監督と交渉中で、決まったわけではないそうなのだけれど、そのニュースを知ったとき、頭の中でポップコーンがはじけるような感覚があった。

多分、心が躍るとかそういう感じの感覚だ。

だって、あの作品は完璧なのだ。1ページどころか、1コマも無駄なところはなく、絵で作中の時間の経過や登場人物たちの関係を見せ、構成は挑戦的で、最後まで読み終わったところでもう一周せざるを得ない完璧な作品だった。

映画化されたときは、あの「漫画だからこそできた表現」を、映像化すべく製作者たちが知恵を絞り、挑戦していることが分かった。作品への尊敬が伝わってくる愛すべき作品になっていた。数十年の時を経て製作されたスピンオフコミックは、作家達の各キャラクターの解釈が面白く、わかるわかる、え?そうくる?と、ファン同士で会話をしているような感覚が持てる(図々しい)ので、とても大切にしている。

話が抽象的すぎるけど、とにかく、それがテレビドラマ化するということは、また新しい解釈のその作品を観られるということで、私はそれまでちゃんと生きる必要があるということだ。

そこまで考えたところで、「あなたが生きたいというだけで、生きてていいと思ってるの???周りになんの恩恵ももたらさずに、「○○したい」という個人的な欲求を認めてくれるほど世の中甘くないんだよ????あなたが生きていることによるメリットはあるの????」と、私の中の人が冷や水を浴びせてきた。ポップコーンもしおしおだ。

私じゃない方がよかっただろうなあ、と思う出来事が多すぎて、私は私が存在していることのメリットを打ち出せない。私じゃなくて、もっと快活で、頭が良くて、ほがらかで美しい人が今私がいるところにいれば、家族も職場も、かつて所属していたクラスや部活といった空間も、もっとハッピーだったはずだし、人々も楽しく過ごせただろう。

でも残念ながらいるのは私なのだ。快活で、頭が良くて、ほがらかで美しい人にはどうしてもなれない私なのだ。ただでさえ、不穏な空気をまき散らすだけの汚物なのに、これで不自然な死に方をした日には、死んでまで迷惑をかける人になってしまう。

そうすると、私は生きるしかないし、いやそもそもテレビドラマ化するまで全然死にたくないし、誰だよメリットがないと生きていちゃいけないとか言った奴は。

……私か。

私は私が生きているだけでテレビドラマ観られるし、好きな漫画も読めるし、映画も観られるしハッピーだろうがと、思うん、だけ、ど。それは私利私欲だから。メリットとは呼べない。

多分この感覚は、かっこ良く言うと「認知の歪み」とか「自己肯定感の低さ」とか呼ばれるものな気がするけど、歪んでない人間様は通り一遍の考え方をするのかよとか、肯定できる要素なんて何一つないんだよボケがとかなんかもうそんな感じなので、一旦考えるのをやめたいと思います。以上。